私が子供のころ(だいたい40年前、昭和30年代ですね)私の住んでいた地域(東北)では薪ストーブが全盛でした。
ほの暗い部屋の中で薪ストーブの薪が燃え、小さな雲母ののぞき窓から火の明るさが畳を照らす、
そんな光景が思いだされます。
家庭でも学校でも薪ストーブを使っていました。
そのころ使っていた薪ストーブというのは、さほど立派なものではなくブリキのちょっと厚いようなものでできたものでした。
また、ストーブの下にはストーブ敷き、とでも言うのでしょうか、木でできた台にブリキを貼り付けた物にストーブを置いていました。
我が家ではさらに鋳物のストーブガードを使い、小さい私と弟がやけどをしないように囲っていました。
さらにそれは物干しも兼ねていました。
秋になると、薪作りの業者さん(?)がやってきて、家の前で材木を切り薪に加工し、軒下と倉庫(杉皮葺きでした)の中にに積み上げていったものです。
それを一冬もたせて使うわけです。
朝、ストーブに火を入れるのは父の役目でした。
私の記憶のある初めのころは、古新聞に火をつけ、細い木を燃やし、最後には太い薪に火を移していきました。
あとから、それは石油をしみこませた着火剤に変わりましたが、火をつけるのは父の仕事でした。
そのストーブで、私と弟の衣類を暖めてくれました。また、部屋も暖まったころ、私は起きてきたものでした。
そのストーブは(当然のことですが)暖房以外にも役割がありました。
近くに衣類を干して乾かす、お湯を沸かす、調理に使う、などです。
思い出にあるのは、カレーですね。
当時、土曜日はカレーの日でした。
いろいろな材料を鍋に入れ、ストーブの上で煮ました。
カレールーを入れる前はある程度ほったらかしてよかったのですが、ルーを入れてからは焦げないように休まずにかき混ぜなければなりませんでした。
子供にとっては結構な重労働だったように記憶しております。
ときどき銀杏の実なんかも焼いて食べておりました。
また、私の住んでいた地域では冬の食卓にはハタハタは欠かせないものでした。
今のような発泡スチロールの箱ではなく、木箱で買っていました。
そして、ハタハタは鮨にし、卵(ブリコ)は醤油で煮付けて食べました。
それもストーブの上で煮ていました。
ブリコは皮が硬くなり顎が痛くなるほど噛んで味わい、最後に皮だけを出していました。
今ではなかなか味わうことができません。
小学校でも薪ストーブを使っていました。
あまり早く登校すると、まだストーブに火が入っていないこともありました。
冬の日は登校時に衣類がぬれてしまうこともありましたが、そんなときはストーブの周りに集まり、濡れた衣類から湯気が出て乾くまで待っていたものです。
また、当時はクラスの役割の一つに「薪当番」というものがありました。
倉庫にある薪を教室まで運ぶ仕事です。
今思えばかなり重い薪運びでしたが私は結構がんばっていました。
教室のストーブの役割の一つに「お弁当のご飯を温める」というのがありました。
水を張ったブリキの桶の上にそこに穴が開いたブリキの箱を乗せ、その中にアルマイトの弁当箱を入れておくのです。
暖飯器(だんぱんき)というものです.
食事のときはご飯がかなり熱くなっています。
また、水の張ったブリキの桶(なんていうんでしょうか?)には牛乳瓶を入れて暖めておきます。
結構割れてしまうことがありましたが・・・
薪ストーブには私の子供時代のおもいでをよみがえらせてくれる物がいっぱいいっぱい詰まっています
今では当時のような薪ストーブにはなかなかお目にかかれませんが、それでもホームセンターなどでは時計型、だるま型といったストーブが販売されております。
まだまだ、直接火の恩恵を受けられる薪ストーブには活躍してほしいものですね。